このホームページでご案内しています、SGOカジワラ代表 梶原 進です。わたしの”想い”を少しだけ書きました。
いろいろな人生を生きている人と出会い、学ぶ。これが大切だと思うンです。
わたしは幸いにも”ステンドグラス”という素晴らしいアートに出会うことができました。
わたしがステンドグラスに魅せられたのはまだ20代前半でした。友人のステンドグラス展示会に出かけた時のことでした。
当時、わたしは父親の鋳物工場を手伝っていました.
「こんな素敵なアートを作って生活したい」「止めな、仕事にはならないよ」こんな会話をしたと記憶しています。
この頃、『将来、鋳物は人で行き詰る』密かに鋳物事業から撤退を意識していました。
1985年にアメリカより新しいステンドグラス(SGO工法)が日本に紹介されます。
1990年より平成の大不況に入ります、わたしの鋳物工場も2年連続の赤字に転落してしまいます。
1996年~1998年、2年かけて鋳物工場の会社末梢を終えたわたしは、家族の生活を第一に考えました。
朝、酒屋さんでアルバイト、10時からステンドグラスの飛び込み営業、18時から22時まで自動車部品の塗装工場で夜のバイトに入ります。
ステンドグラスは売れませんでした。歩けど、歩けど、売れないのです。
同時に最大のスランプに陥ります、それがプライドです。『父親と母親が夜も寝ないで築き上げてきた鋳物工場を廃業してまで追いかけた夢なのに・・・
わたしは、一体、何をやっているのだ!
悔しさで夜のバイトで帰宅しても10分ぐらい車の中で泣いてからでないと玄関がくぐれない日々が続きます。
こんな時に救ってくれたのが5ページで写真ばかりのホームページからのステンドグラス制作依頼でした。確か京都からの依頼でした。
ホームページが存在していることも忘れていました。でも、直観ですね、「これはいける、これしか無い」と決意します。
一年間、ホームページ制作に没頭しました。【あなたのデザインでステンドグラスを制作します】日本で初めてのコンセプトは受け入れられました。
『ステンドグラス』のビック・キーワードでグーグル・ヤフーともに上位表示されるようになります。向かうところ敵無しです。
わたしの元には、感謝のメールが一杯、届きました。お客さまの”想い”をアートにする、わたしは独占的な立場を手に入れました。
浮かれていてはダメですね、ネットに偏り過ぎました。
2008年リーマン・ショックで社会情勢は一変してしまいます。同時にネット環境も複雑になりホームページからの集客が難しくなりました。この先新型ウィルス・コロナの影響で社会はどう?変わるのでしょう?
一からの出直しの日々です。
ステンドグラスを制作することでたくさんの人にお目にかかり、たくさんのお話ができました。このことは本当に豊な時間で素晴らしい経験でした。
これからも、わたしのアートは続きます。
あなたのご連絡をキリンのように、首を長~~~くして、お待ちしております。
電話:TEL:0587-54-6908(営業時間 AM9:00~PM6:00 定休日 土・日曜・祝日)
susumu.sgo.e.stainedglass@gmail.com
3営業日以内にお返事をいたします、もし返事が届かない場合はお手数ですが再度お送りください。